2005年度のさんぽ

前期

役員と係の体制

団塊世代が部長となったが、団塊の次世代(この年度の2年生)が少数のため、難しい運営を強いられた。

2005年度の役員・係

(役員)
部長(兼・HP係)宮田(工3)
副部長(兼・例会書記)戸田(工2)
会計滝藤(農2)
(主な係/幹事)
記録平田(農2)
新歓(春)竹内(農3)
新歓(秋)滝藤(農2)=兼任
名大祭長田(農3)
夏合宿廣木(法3)

年度末(2006年1月)のメンバー構成

名古屋大学他大学性別
IS
1年11 5 527
2年4 13 1 2 7411
3年71112 5712
4年2 2 4 4
M 1 1 1
D 1 1 1
142492 1 11 2 231336

第3回峠の茶屋(名大祭)

名大祭係は長田。教育学部で2回目の名大祭となった。この年に導入されたメニューとして「わらびもち」があり、好評を博した。黒字は18,000円余りとなった。

この年から横断幕を事前に申請し、合法的に設置できるようになった。宮田が音頭取りをして分割印刷した大きな紙の横断幕が作成された。

また、壁に写真を貼ることが禁止されたため、壁面を装飾する方法として「よしず」がはじめて導入された。よしずは和風喫茶らしい涼感を醸し出すインテリアとしても活躍したが、以降、運搬と置き場所に四苦八苦することとなった。

勉強会の内容の固定化

この年度より、前期の勉強会は「夏合宿へ向けた基礎的な知識・技能の習得」というように目的が絞られ、内容もほぼ固定されるようになった。一方の後期は、日常の山歩きに関係する応用的な内容が中心となった。2005年の勉強会は次のとおりである。ただし、この年までは「上級生が講師となり下級生に教える」というスタイルだった(翌年からは「下級生が勉強する機会を持ち、その成果を発表する」というスタイルになった)。

日付内容タイトル講師
(前期)
6/ 6遭難・危険対処山の危険と対応宮田(工3)
6/13歩行・パーティー編成山での歩き方とパーティー編成廣木(法3)
6/20服装・装備装備について(夏合宿に向けて)竹内(農3)
6/27地形図判読地形図の読み取り長田(農3)
7/ 4応急救護応急救護と健康管理戸田(工2)
(後期)
10/31気象山岳気象の理論と実際富田(環M2)
11/14交通公共交通機関の利用戸田(工2)

初の南アルプスでの夏合宿(白根三山縦走)

2005年8月17日~20日、さんぽで初めてとなる南アルプスにおける夏合宿が実施された(幹事・廣木 。北岳(日本2位の標高、3192m)、間ノ岳、農鳥岳の白根三山縦走である。参加者は11人であった。

また、2005年度から「夏合宿訓練山」というものが企画されるようになった(2005年8月8日、御在所山)。初めて高山へ挑戦する新入生等が、無理なく技術や体力をステップアップできるように、普段よりややハードな山に行くい規格である。新入生にはできる限り参加するように呼び掛けた。この企画は自主企画であるが、公式行事的性格が強かった。

ポスト夏合宿

2005年9月2日~4日、廣澤がOBとなって初の廣澤邸合宿が行われた。恒例のバーベキューや流しそうめんを実施したほか、篠島へ遠征した。2003年の日間賀島、2004年の佐久島とあわせ、これで三河湾の有人島を全制覇したことになる。

後期

フリーペーパーCAM→PASSに掲載

11月と3月に、フリーペーパーCAM→PASSにさんぽの紹介記事が掲載された。これを見ての見学者もちらほらみられた。

自主企画数の増加とスノーハイク企画

行事の推移.GIF

2005年度は、自主企画数の伸び著しい年であった。とりわけ「日帰り山歩き」の自主企画が急増した。その中には雪のある山を歩くスノーハイクの企画が含まれており、さんぽとしては新しい試みであった。

旗が2代目になる

9月山(糸瀬山)で初代旗が完全に埋まり、10月山(青山高原)で二代目に移行した。二代目はロゴ作成者である長田が作成した。

春合宿の頓挫

廣澤邸以外で行われる2回目の春合宿が行われる予定だったが、人が集まらず日帰りの山歩きとなった。廣澤邸宅の魅力があまりにつきぬけていたようである。

ホームページ関係の動き

お勧め山掲示板の開発

さんぽにふさわしい日帰りの山を探すため、さんぽ以外で行った山の紹介と蓄積を行うことが急務とされた。多くのメンバーが名古屋近郊の山を知る手段として、さんぽ独自形式の掲示板「お勧めの山掲示板」が開発された(宮田・富田)。しかし、一部の人しか書き込まず、目的はあまり達成されなかった。

新しい形式の山行記録

2005年度の前半まで、山行の記録は、富田が当初ホームページを立ち上げた際に使用していたシンプルな形式が使われていた。2005年の後半から、長田が作成した、より詳細な記述をする形式の記録が使用されるようになった。新しい形式は、当初は「記録」ではなく「山の紹介記事」として作成された経緯があるため、旧来の山行記録との併存も模索されたが、最終的には移行する形となった。

ただし、この形式は記述量が多く山係の負担となったため、2008年度頃には別のシンプルな形式が普及するようになった。

GoogleMapの利用

GoogleMapをホームページに埋め込み、これまで行った山の位置が衛星画像やオンライン地図上でシームレスに見られるようにした。

ホームページ係の交代

宮田から大畑に交代した。しかし、コンテンツは大きな変更なくそのまま継承された。


添付ファイル: file行事の推移.GIF 565件 [詳細]

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Last-modified: 2011-01-15 (土) 20:50:35 (4857d)